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夕日が綺麗すぎて、人間に戻ったあの日

ビジネス

「きれいな夕日だなぁ…。本当にきれいだ」

そう思ったとたん
胸のあたりから温かいものが一気に溢れ出し…

悲しくもないのに涙が止まらなかった。


どうも、たちあやです。

私は年商1億円超えグループ企業で
25名の部下を育てている
スーパーバイザーです。

私が勤めているのは、ネット通販の会社ですが

以前の仕事がハードすぎたので
転職して、中途採用で入った会社です。


転職前は
月の半分は深夜に帰宅
休日なし(公休でも仕事)
激しい疲労で、点滴を打つ

ような状況から

心が病んでいたのを治すため
カウンセリングを受けて、転職しました。


苦しい状況の時は
どうしていいのかわからず
ただ、もがいてました。

もしもあなたが
抜け出したいのに、抜け出せないような
辛い思いをしていたら

私がどうやって抜け出したのか
読んでみて欲しいです。

今は辛い思いをしていなければ
物語のように読んでもらえるように書きましたので

私の復活ストーリーを、一緒に体験してみてください。


ストーリーの最後には

・辛すぎると心を無くす
・人は環境に影響される
・決断が大事

を詳しく説明しています。

あなたの働き方を
より良いものにするための
ヒントになると思うので、興味があったらぜひ読んでみてください。


私が、今勤めている会社は

合併をして、年商1億円超えのグループ企業の1つになりました。


合併する前の会社は
健康食品をネットで販売するところからスタートして

医薬品、日用品、食品などの
商品が20万種類を超えるほど
たくさんの商品を販売する会社になりました。

ブラックな会社からの転職

私がこの会社に転職したのは
ブラック企業から抜け出すため。

前職は、化粧品会社でWEBサイトの運営を担当してました。

派遣社員から正社員になり
お金を稼ぎたくて
フラフラになるまで働いていました。


当時30代前半で若かったし
残業、徹夜、休日出勤を
当たり前のようにこなしていました。

私の中で
「お金を稼ぐには、人一倍働かなければならない」と

思い込んでいたので

体力の限界まで働いて

いつ倒れてもおかしくないぐらい
フラフラになりながら
重い体を引きずって会社へ行ってました。


きっかけ

ある日、会社からの帰りに、
私が乗っている自転車と乗用車が
接触事故を起こしました。


軽く接触しただけなのに
運転手のおじさんが慌てて降りてきて

「大丈夫?ケガしてない」と言ってくれたけど

私には、おじさんの声が夢の中みたいに
遠くの方で聞こえてきた。


私は、人ごとのように無表情で
「大丈夫」とだけ答えて

何もなかったように自転車をこぎはじめた。

でも心の中では
「このままだと死ぬ…」と思ってた。


このまま、この会社で働き続けたら
事故に会うか、心を病むか、倒れるかして

ぜったい死ぬわ、と思った。

辞める決断

事故の翌日、同僚に
電話で「もう辞める」と伝えた。

同僚は少し驚いていたが
私が辞める理由は、なんとなく分かっていて

「なぜ急に?」
とだけ聞いてきた。

「このままだと死ぬから」
「死にたくないから辞める」

私が淡々というと、同僚はそれ以上何も聞かなった。

我慢の限界になって
辞める決意が固いことが、分ったんだと思う。

憧れの会社

そんな矢先、東日本大震災が発生した。

それは突然の出来事で
東北を中心に、日本中が大混乱になり、

ある東京の会社が
「本社を福岡に移す」というニュースが流れた。


その会社は
いつも私が見ていた通販会社だった。

通販サイトの
ページの作り方が、他のサイトと違っていたり
サービスも斬新だったので

企画書を作る時、
マネできることはないかと思って、よく見ていた。


「あの会社が、福岡に来る!!」

いわば、憧れのような会社だった。
衝撃が走る。


私は普段テレビを見ないのに
たまたま、そのニュースを見ていて
たまたま、社長が語っているのを聞いた。

ドラマのような展開だと、思いながら
寝る時間もなかったのに、必死で1日で履歴書を書き上げ

中途採用の面接に、エントリーした。

面接で

私を面接してくれたのは
私より年上の女性で、穏やかで、よく笑う人だった。

面接で訪れた会社のオフィスは
まだデスクもなくて、ガランとしていた。

本当に、移転が急に決まったんだと思った。

少し緊張したけど、
忙しい仕事の合間をぬって面接に来たので
緊張するというより、頭がボーっとしていた。

寝ていないからだ。


正直、あの頃の記憶は、うっすらとしか残っていない。

寝てないから覚えていないのか
辛すぎて記憶から消したのか、わからない。

面接は雑談のような感じで進み
だんだん緊張がほぐれていった。


二人の共通の話題が見つかった。

ネット通販をやっていると
「どうやったら売れるのか」という壁にぶつかる。

そこで
サイトの購入ボタンを黄色に変えるとか
お買い得商品を、目立つところに置くとか

いろいろやってみても
やっぱり売れなくて

試しに100円値下げしてみると

馬鹿みたいに売れることがあって

「やっぱり、値段なんだよね」

という話で盛り上がった。


面接の最後に私は
「徹夜続きで、もう限界だから
 何でもするから雇って欲しい」と懇願した。


社長との面接では
今までやってきた「仕事の成果」を聞かれた。

社長クラスになると
どれだけの仕事ができるのか
「結果」で人を見るんだな、と思った。

どんなプロセスで今に至るのか
どんなポジションだったのかは
あまり関係ないみたいだ。

私は
自分で何言ってるのか、わからないぐらい
必死で話をして、内定をもらった。

社長からは「すぐに来てくれ」と言われたけど

仕事を引き継がないと、辞めれない。

化粧品会社を辞めるまでの
2ヶ月が、最後の地獄だった。

話を聞いて欲しい

内定をくれた会社は
2ヶ月以上は待ってくれないから

ちゃんと辞めれるか不安になり
相当なストレスで、病みそうだった。


いや、もう病んでいた。


メンタルクリニックを探して
カウンセリングを受けた。

「とにかく、誰でもいいから
 話を聞いて欲しい」

と思い、吐きそうだった。


つらくて、さみしくても
今まで一人で頑張ってきたけど

もう限界なんだということを
口から吐き出したかった…

吐き出さないと、死んでしまいそうだった。


誰に話す?

誰も思い浮かばない。


友達はダメ
重たすぎて、聞かせられない。

両親
心を割って話せない

同僚
私の状況を知らないし
上司の耳に入ったらややこしくなるからダメ


こうなったら、もうプロだ、プロの人に頼むしかないと思った。

お金を払って、話を聞いもらおうと思った。

クリニックへ

カウンセリングは、うつ病の人が受けるもの
と、思っていたけど

「私は、毎日会社に行き、働いているから
 うつ病ではないしなー…」と思い

うつじゃなくても
カウンセリングって受けれるのかな?

どこで受けるの?

いくらぐらい、かかるんだろう?

とグルグル考えていた。


何も知らなかったし、ツテもないので

ネットで検索して
何となくよさそうなクリニックに決めた。


ホームページが
何となくさわやかなイメージで
先生が優しそうなクリニックに決めた。

料金もよくわからなった。


カウンセリングって
どういうものなのか?

知りたい方もいると思いますので

これはまた別の記事で
詳しくお話したいと思います。

話を進めます。

転職して変わったこと

なんとか転職できた。

新しく立ち上げたばかりのオフィスには
東京から来た社員が4割
福岡で採用された社員が6割ぐらい。


この会社は服装が自由で

金髪で革ジャンを着て、くさりをジャラジャラつけてる人もいた。

社長席の隣には、社長が愛用している競技用自転車が置いてあった。


自由な会社だなー。


そういう社風の会社で
上司の役員が私に言ったのは

「どんなやり方でもいいから
商品をたたき売ってくれ!」 だった。

気持ちはわかるけど
「たたき売る」って言い方いやだな。売りつけるみたいで。


私はYahoo支店店長になった。

会社では、何店舗かサイトを運営していて
本店、楽天支店、Yahoo支店、Amazon店…

とある中で

Yahoo支店の店長になった。


サイトごとに規模が異なり
Yahoo支店は商品数が少なく、売上も小さめ。
(とはいえ、16万商品、月商9000万円)

なので、店長が一人で、何でも切り盛りする。

私はもともと前職でも、サイトを一人で運営していたから

やることは同じだった。

コミュニケーション

会社が変わって
売る商品は変わったけど
やることは似ている。

初めは、様子を見る感じで働いていたけど

徐々に、社長から
結果を求められるようになり

私は以前のように
残業をして売り上げを作るようになっていった。


今度は倒れそうになるほど
忙しくはなかったが
一風変わった社風に慣れるまでは

なんかしっくりこない、ところがあった。


ちょっと打ち合わせするにも
チャットを使ったり
メールで連絡したり

隣に座っているのに
背中合わせに座っているのに、直接話さない?

変なコミュニケーションが、私は気持ち悪かった。


でも、時々は直接話す時もある。

インターネットを介するネット通販では

システム障害が発生すると
サイトで商品が買えなくなる。


そんな時は、
サイトを元に戻すために
多くの社員が、猛スピードで対応する。

入社後間もなく、障害が発生した時、
私がメールで上司に連絡すると

上司からの返信がない…


もう少し待って見るか…
と思っていると

上司から「どうなっている?」と
少し怒り気味で電話が入った。

あぁ、こういう時はメールじゃだめなのね。

と気づいた。

こんな感じで
ひとつずつ、この会社でのやり方を覚えるしかない。

直属の上司は東京にいて
作業をしている私たちは福岡にいる。

私は、コミュニケーションを取るのに苦労した。

サイトを動かす

今までYahoo支店の店長をしていた同僚から
仕事を引き継いだ。

新卒で入社3年目
子供が二人いて、シングルマザーの
彼女は、説明が得意ではなかったので

結局、私は1からサイトの仕組みを
自分で覚えることにした。


サイトを見てみると
管理しているとは言えないほど
何も整備されていなかった。

私はコツコツと、商品ページを作り込んでいった。


メールマガジンも
徐々に「売れる文章」に変えて
商品を売る準備をコツコツ進めた。

・商品を見やすく分類する

・セールで安く売れる商品を集める

・人気商品、セール商品を並べたページを作る

・人気商品のレビュー(感想)を表示する

・季節ごとの特集ページを作る


ここまで、サイトを整備出来たら
メールマガジンでアピールする。


お買い得ですよ!
人気商品です!
こんなレビュー(感想)をいただきました!

という各ページへのリンクを載せておくと

お客様はページを見に来てくれる。


セールのページでは、
人気がある商品を左上に置いて
売りたい商品を並べていく。

八百屋さんの店先で
お買い得の野菜を
一番お客さんが見てくれる場所に置くのと同じ。


もしも
お目当ての商品がなかったら

こっちのページも見てね…
という感じで、別のページへ誘導する。


実際に、お客様がどんなふうに
サイトを見に来るのか?
どのタイミングで商品を買うのか?

想像しながら、作り込んでいく。


サイトの中で
お買い得ページへのリンクを、たくさん設置して

お客様がサイトの中を
ぐるぐる見て回ってもらえるように整備すると

たくさん購入してもらえる。

実績

順調に売上が増えて
3ヶ月で、月商1億円を超え
1年で、1億3000万円になった。

社長が喜んでくれた。

Yahoo支店には
何をどうやっても1億円を超えることができない
1億円の壁があったらしい。

3ヶ月で1億円を突破して
Yahooから記念品が届いた。


その日は、残業をしないで帰ろうと思い、
早めに会社を出た。

まだ日が落ちる前で、外が明るい。
明るい時間に帰るなんて、いつぶりだろうか?

ふと、目の前のビルとビルの合間から
夕日が見えた。


久しぶりに見る太陽が、とてもまぶしかった。

その夕日は、すごくきれいなオレンジ色で
私は夕日に見とれていた。


「きれいな夕日だなぁ…。本当にきれいだ」

そう思ったとたん
胸のあたりから温かいものが一気に溢れ出し…

悲しくもないのに涙がこぼれた。


なんで泣いているのか分からない
でも涙が止まらない…


私は何が起きたのかわからず
涙をぬぐうこともできず
そのまま歩き続けた。


すれ違う人が
私が泣いていることに気づいていたけど
どうでもよかった。


悲しくないのに
なんで涙が止まらないのか、訳がわからなかった。


何かが胸のあたりにうわーっと湧いてきた時

直感で
「人間に戻れた」と思った。

優しい仲間に囲まれて

人間の心が戻ってきたんだと思った。

心というか、感情。


この1年間
一緒に仕事をしている同僚は
私に優しくしてくれた。

ランチに誘ってくれたり
仕事を手伝ってくれたり
たくさん一緒に飲みに行った。

最近あった面白いことを話してくれたり、

こんなお店を見つけたとか
合コンしたとか
海に潜ったとか


みんなにとっては当たり前のことかもしれないけど

私にとっては
泣きそうになるほど、優しく感じた。


会社が変わると環境が変わる。

どんなふうに仕事をするのか
ぜんぜん変わる。


この会社に来たばかりの頃は
私は相変わらず、パソコンをにらみつけて仕事をしていた。

ある日
東京から出張して来た社員がいて

久しぶりの再会に
同僚たちはキャッキャ騒いでいた。

私は急ぎの仕事があったから
雑談の輪に入らなかったんだけど


出張してきた社員が
私のことを気にして

「あ、なんか今いそがしいの?
 話していても大丈夫?」

と言っているのが聞こえてきた。

「大丈夫、いつもこんな感じ」
「気にしなくていいよ」
と、隣の同僚が答えていた。


私は雑談に入らなかったけど
強要はしないし、
でも、自分たちは気にせず雑談する。

どっちでも、自由だよー
という感じで
私と接してくれていたのが、何となくわかった。


それも優しさだと思った。


時々、私から話しかけると
すごく喜んで、雑談で盛り上がったりした。

そういう優しい人たちに囲まれて
私の心は、少しずつ癒されていったんだと思う。

軍隊の会社

以前の会社は、トップがいつも怒っていた。

怒られないように
社員全員がビクビクして働いていた。

社長が社員を叱ったり
専務が机を叩いて威嚇したり
罵声が飛ぶことは、しょっちょうだった。

社長がコールセンターに来ると
100名のオペレーターが起立して

社長が座れと言うまで
立ったまま電話の対応を続ける。

ここは軍隊か?
と私は思った。


そんな最悪の会社から抜け出して
違う会社に飛び込み、優しい同僚たちのおかげで

1年かかって、人間の心を取り戻した。

人間に戻れた軌跡

大激変の転職を経験して
思うことは

・辛すぎると心を無くす
・人は環境に影響される
・決断が大事

ということです。

・辛すぎると心を無くす

後になって
悲しくないのに涙が出てくる原因を
調べてみたら、

心からSOSのサイン
だそうで

心がストレスに耐えきれず
悲鳴を上げていることがあるらしい。


人により、ケースバイケース
だと思うけど

いずれにしても
心や体が元気でないと
感情と関係なく、涙が出てくるようです。


後に私は
心理学を学びます。

心理学というと
相手の心を読むとか

性格を分類するような
イメージがあるかもしれませんが


私は実践的な心理学を学んで

ストレスが何なのかを知り、
人とのコミュニケーションでの悩みがなくなりました。


ストレスに関しては

上手くストレスを発散させないと
やる気がなくなってしまったり
病気になってしまいます。

仕事の量が多すぎる
責任が重すぎる
言葉がきつい

などの人とのコミュニケーションにより
ストレスが溜まってきます。

会社では
いやだけど
拒否できないから、ストレスが溜まります。


本当に辛くなると
心が病んできます。

それは、じわじわと
心の元気が奪われていくので
気づいたら、深い闇にはまり込んでしまいます。


どこまで我慢してしまうか
なんですが…

元気のレベルが
20ぐらいになったら、自力で戻れなくなりました。

カウンセリングを受けたり
優しい人と触れ合う
ことで、1年で戻れたのです。


だから
辛くなったら、我慢し続けないで欲しい。


その場から離れることも
自分を守るために、大事なのです。


まだ辛くないけど
辛くなりそう…とか

今は辛くないけど
辛くならないために、どうしたらいいの?

と思う人は
心理学を学ぶのがおすすめです。


私は、日本メンタルヘルス協会で
基礎から、プロコースまで受講しました。

心理学の世界は
とっても深くて…

考え方が180度変わりました。
生き方が変わりました。


感動して、何度も泣きました。


今まで上手くいかなかった理由が
全部わかりました。


悩みがなくなって
人生が楽しくなりました。


転職で、苦しい体験をしたけれど
だからこそ、心理学に出会えた。
辛かった出来事すら、感謝に変わりました。


これからも
私の体験を、全部伝えていこうと思っています。

いつからでも
どこからでもいいので
時間が許す限り、たちあやの発信を見て欲しいです。

・人は環境に影響される

私は、仕事がハードな会社で
限界まで我慢して
鬱になる寸前までいきました。

人間の心を取り戻すのに
1年かかりました。

もっと早く
会社を辞めれば良かったです。


自分に無理をして働いて
得られたのはお金だけ。
(女性社員で一番給料が高かったです)

でも、
お金を使う時間はないし
家族や友人と会えないし
心と体はボロボロだし

ぜんぜん幸せではなかった。


仕事がハードな会社では

人を罵倒する言葉が飛び交い
人の欠点ばかりを指摘して
みんなが疲弊する、最悪の雰囲気でした。


でも、転職先では
厳しさはあるけど
きつい言葉が聞こえてくることはなく
楽しみながら仕事をしていました。


会社という組織の中では
独自のルール
みたいなものがあって

そのルールを変えることは難しい。

自分に合わないと思っても
給料をもらうために
我慢をして働き続けてしまう。


人は環境に影響を受毛ます。

悪い環境
・欠点ばかりを指摘する
・期待と違ったら怒る
・協力しない
・きつい言葉で罵倒する
・笑わない
・挨拶しない

書いているだけで
病みそうです。


いい環境を選ぶのも
悪い環境を選ぶのも
結局、自分。

それに気づいたら
自分がどんな環境に居たいのかを
考えるようになりました。

・決断が大事

最悪の会社から抜け出して
1年かかって、人間の心を取り戻したことを

他人事として俯瞰して見ると
過酷な会社は早く辞めた方がいい、
と言えるんだけど


自分が苦しい渦中にいる時は
「辞めよう」と考える時間もなかった…

寝て起きたら、また仕事だからです。


でも、何かのタイミングで
「辞めよう」と思ったんだったら

「辞める!」と決断することが大事です!!


そしたら、どうやって辞めるか
先のことを考えることができる。


それは脳が
「辞める方法」を探しはじめるからです。

どういうことか?

あなたが見たもの
聞いたもの
感じたものを、脳が処理をしています。


脳に送り込まれてくる情報は
膨大です。

全部を処理していたら
脳がパンクしてしまいます。


だから脳は
必要な情報だけに絞り込んで
処理をしています。


試しに、考えてみてください。

100円玉の表側には
何が描かれていますか?
(100円玉を見ないで思い出して)




答え
桜花(八重桜)が3輪
上辺に「日本国」
下辺に漢数字で「百円」

どうですか?
思いだせましたか?


あなたは、今までに何回
百円玉を見たでしょう?

きっと数えきれないぐらい見ているはずです。

今日も、昨日も見たかもしれません。


でも百円玉の表がどうなっているか
記憶していないんです。


それは、必要ないもの
として脳が処理をしているからです。


では、こんな経験はありませんか?

あなたは
新しいかばんが欲しくなって
次のボーナスで買おうと決めました。


通勤や、買物の途中で
あなたが欲しいかばんを持っている人を
よく見かけるようになりました。


あのかばん
人気があるんだな、と思った。


これは脳のRAS(ラス)という機能が

「興味があるもの」の
情報を集めているから起きる現象です。


かばんを持っている人は
以前もいたし
今も同じ人数がいます。


つまり
興味がなかった時は
持っている人を見ても
関係ない情報として素通りしていて

興味を持った後は
持っている人を見つけるようになった

ということです。


RAS(ラス)機能とは
脳の中にある
放射状の神経細胞が
ネットワークの網目状になった部分で

興味があることに対して、
情報を集めていることを言います。


だから
興味を持つ=決めることで
脳が必要な情報を集め始めるのです。


私が「会社を辞める」と決めたら
憧れの会社が福岡に移転する
という情報をキャッチしたのも

私の脳のRASが
転職の情報を集め出したからです。


脳の機能を上手く使うと
未来を変えることができます。

自分が決めたことに関する情報をキャッチして

行動すればいいのです。

決めて
キャッチして
行動する です。


決める 辞めると決める
キャッチ 憧れの会社の移転を知る
行動する 面接を受ける

決める かばんを買うと決める
キャッチ セール情報をみつける
行動する ショップに行って買う

P.S いろいろ知りたい!

いろんなことに興味がある私は

心理学から始まり
脳について
ストレス
リラクゼーション
自己啓発
成功哲学を学びました。

初めは趣味のつもりだったけど
仕事にも生かせるようになって

苦手なコミュニケーションも
少しずつできるようになりました。


それでは、また




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私(たちあや)が転校を繰り返して学校、職場で人間関係になじめず、

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